あまり更新しないので通知すらうっすらでしたが、1月半ばから2月半ばのいずれかに入院予定でした。
が、、
いまだに入院先の病院から入院の日にち決定の連絡ありません
どういうことだー、と言いたいのですが
コロナで生命にかかわる重大手術しかできないというのは理解できますが、少し待ってねの連絡くらい欲しいのですが、それすらできないくらい忙しいのか?
症状なのですが、27歳の時に盲腸になり、その時に4件病院に行き2回手術でした。4件目でやっと診断されたときには手遅れ腹膜炎、その時に腸閉塞になっていたのが6年前に発覚、かなりの年数をたまに起こる激痛に耐えました。
はじめは、1件目鈴鹿の病院でしたが、救急に運んでもらったのはフョミュラーカードライバーの運転で運んでもらい、付き添いには看護師さんでしたが数週間後に事実を報告したら、救急の医師が忙しさにパニックになってるの見ながら、横で腹痛で激痛で転げまわってるのを見て笑ってたそうです、
さすが、看護師さんは冷静です。
鈴鹿の病院では胃薬もらいました。
その次の日には2件目、京都の真ん中あたりにある病院ですが、かなり痛いんですけどと夜間に行ったのですが、明日痛かったら来てください。
え、かなり痛いですけど、、、医師は薬で散らしましょ。でした。
この時には、すでに白血球数値は上昇していた模様で、数値教えてくれと電話したら担当の方に電話切られました。
その後にこの医師を調べてもらったらアルバイトだった模様です、バイトでも良いが事務方に電話をブチっと切らせるような事をさせるなら、判断が間違いだったと認める勇気が必要ですね。
3件目、相談した相手が悪すぎました。ホイルナットとも締めれる状況でなくなり、これはやばい歩けない、、救急車呼んでーーと言ったら、これが間違いでした。
俺が盲腸で有名な病院に連れてってやる。
これが2発目のとどめ、病院に着くと看護婦さんが血液検査後に医師に、先生は白血球が手遅れですよ緊急手術しなくてはならないから、救急車呼びますよって激痛に耐えながら聞こえてました。
救急車のドライバーはプロのレーサーではなく、法定速度厳守と逆走が出来るプロの救急車ドライバーでした。
でかい病院で緊急手術、3日で退院。
しかし、これがまた運命の分かれ道
自宅で2日目でも熱が下がらず、これは入院時と同じだ反応してるぞ、痛いぞと思い速電話
症状話すと、、あー、すぐに病院に来てください。
CTで、あー長の下の方でうみがピンポン玉サイズ位になってるねー手術だよ。
えー、2回目、しょうがないねーーー。
2回目は、下半身麻酔にするよ。
なぜ下半身麻酔か疑問でした。
入院中に、あまりの痛さに痛み止めくださいと言ったのに、医師が拒否。まあまあ痛いけど我慢ですか?と聞くとあなたは大げさなんです、敏感なんですと言われたので、じゃあー退院しますというと、2日目で退院は無理ですと言われケンカになりましたが、今思うとこの時点で失敗での症状進行はしていたようですが、ここでの痛みに敏感なと判断され麻酔に注意となったかはなったかは解らないが、下半身新麻酔でした。
が、、これがまた判断ミスの始まりでした。
フラットフラットーーーー、と叫んでました。
ワーゲン屋さんのフラット4の人間が手術にはいませんが、医師が叫んでました。
なんと、心停止に近い状態になりました。
麻酔とはなかなか難しいのか、医師がアホなのか?
下半身麻酔が効かず、麻酔医を呼ぶので寝て待っててと寝た瞬間に麻酔が脳みそに回ったのか、麻酔ショックでピー―――――になりました。
おいおい、フラットフラットーーー、となりました(フラットとは心拍5以下になるとピーになるよと、知り合いの臨床工学技士の方に笑いながら言われました)
技師の方が言うには、医者はかなり焦っただろうねー、まあたまにあるんだけど報告はしないからその場の人しか知らないんだよって。
後に、手術の時にフラットって叫んでたけどどういう意味ですかって看護婦さんに聞いたら、これも笑いながらどこかに行ってしまいました。
フラットは笑うものらしいです。
この時に、腹を10センチほど切り洗浄しましたと聞いたのですが、これが原因で腸閉塞です。
その後、かなりの腹痛で食べ物が詰まるのが原因と分かったのは6年前。
その後20年間に数回救急に行ったのですが、皆さん胃薬をくれるだけでした。
しかし、救世主は見習いの女性医師でした。
超音波での、痛い箇所の場所が何となく想像できたのか発見、その後の説明では上司の医師らしい人にありがとうございます、と言ったら発見したのは僕ではなく彼女の成果ですと、かっこいい医師ですねーー。
その後に通院が始まり、手術不可能診断。
えーーーーー、理由 あなたは癒着しやすい体質かもしれないので危険ですのでこのまま病状と付き合えませんか?でした。
かなり痛いの知ってるでしょ?
手術するとまたなりますよ、なのでできません。
その後6年間年1回から2回は救急に行くほど腸閉塞激痛になる計算でした、もちろん腸閉塞は腸が破裂の危険になるくらい膨張して、入院です。
大体、春と秋ですが、嵐山のワーゲンイベントの前日になるのが2回あり、次の日にイベントなのに、入院は無理だろーー、もちろん入院拒否の場合は命に責任持てません病院の書類にサインして行ったのですが、皆さんは気が付きませんが、かなり我慢してました。
普通は歩けないくらいで手すりにつかまらなくてはならないくらいの痛みです。
もう勢いで、後の事は考えない行動ですが、イベントでは用意やかたずけなど皆さんに助けてもらい、主催のウルブスキッズの方々位は助けてもらいました。
この様にだましだまし過ごしてきましたが、現実は3センチくらいの腸が閉塞で10センチまで膨らみ激痛になるのですが、去年は12センチくらいになりさすがに、今回はやばいぞと今天国はまずいなーーーと、命の覚悟をしたくらいです。
去年の夏の時点で、ある勇気のある医師がいて、手術しますか?なんて言う医師がいて、この病院で手術してるから過去のカルテあるでしょ?って参考にしようよって言ったら、カルテは5年で消去です。
え――そんなことはないだろーと思ったが、見せられない処置あるよね?つて聞いたら、まあーー、あれしてればある程度は防げたよねーー、んんんーーカルテが無いので、、症状で分かるでしょ?
まー、こちらはもめないし、手術して改善するかわからないが、数年をこのまま過ごすことは不可能に近いので手術出来るならしてほしいと言うと、じゃーやりましょう。
来週どうですか?その時は8月だったので9月?
1か月くらい入院でしょ?9月はイベントあるかもしれないしー、仕事も死後のかたずけしてないしーー、もう少しと先延ばしできる?
と、今の現状です。
3月はないでしょうねーー。
言われてる入院期間は、3日から1か月です。
これを見てわかる方は、まあまあ詳しい方ですよ。
現代の入院で1か月なんて言われるのは、なかなかない症状の読めない手術です。
4人ほど医師に聞きましたが、医師もやりたくない手術らしいです。
結果、20年以上前のカルテありましたって言われて見せてもらいましたが、やはり癒着防止のネットはしてませんでした。
この医師は、すでに定年退職していていませんでした。
へたくそ医師の穴拭き手術かーー、でも手術やると言ってくれただけ勇気あるから許すよ、こちらもその後どうなるかわからないから覚悟はしとくから。
って、まだ連絡なし。
いろいろ皆さんから聞かれるので、長々となりましたが説明です。
聞いたのは、帝王切開した産後の方もなるそうです。
腸閉塞症状は、食べたら腸の一部で流れが悪くなり詰まりますので、胃から腸には簡単に流れません、酒など飲んだ時は食べ物次第で閉塞部分がダムの様にせき止めてしまい、何かのタイミングで突然通過するのですが、アルコールをどれだけ含んだ状態でのタイミング次第で一気に流れた場合には、一気に腸に行くのでかなりな悪酔いになります。
ついでですが、フラットの時は心電図ピー時は動けませんが耳は聞こえてますので、親やおじいちゃんなどの時は、完全にあの世に行ったのを確認してから会話してください。
1分くらいかな?聞こえていたので、しばらく死んだふりしてましたが、さすがに冗談もほどほどにしないと、感電されたら痛いはずなのでフラットってなんですかー?ってきいたら安心したのか、封印したかったのか強引に喉に何かを入れられ気を失いました。
その後、喉チン子かなり切れてるくらいの勢い何かをされました。
ドラマの様に悲しむときは、本音を言わないように、しばらく聞こえてます。
上半身浮き上がるくらい1回死んでるので、手術や鈴鹿サーキツと1コーナー200km突っ込みはあまり恐怖はありませんが、腸閉塞は痛い。
現状は、白米がやや硬いと腸の閉塞部分に詰まるような状態です。
病院から連絡あるまで通常作業してます、いつも以上に作業してます。
わーげんやめる?なんて2年前にチラシくばったから早めに行かなくては、と来たかたもいましたが、やめるの理由は車両も少なくなり、所有してる方は修理、改善作業は終わってる方ばかりなので、ワーゲン関係もしますが旧車全体に幅を広げるという意味です。
また何かありましたら報告します。
もう10年以上たちますが、直腸がんで亡くなった仙台のワーゲン屋さんの最後の状況が腸閉塞で想像出来ました、この方が言っていたのが腸の激痛でモルヒネ打ってるから意識があまりないんだよって亡くなる1か月前に言ってました、腸閉塞では足の小指左右を打った3倍くらいの痛みが24時間続くくらいの痛みで、かなり痛いのであの方はかなり耐えたのだなと、1月になると思い出します。
人生アクセル全開、後悔無しで生きてますか?状況に負けてませんか?
今は負けてもいいのです、最後に勝てば、解決策は何かあります。
もうどうにもならないんだよねー、仙台で聞いた言葉がいまだに思い出すことがあります。