京都に来て22年でしょうか??
11月のことですが
この時住んでた部屋のとなりのおばちゃんが先月肝臓がんで旅に出たのですが、ここ1年半会えず、電話がかかってきて前日に亡くなりましたと電話がありました。
数時間後行くと、やはり息はしてませんでした。
何かおかしく思い、数ヶ月前から何回か自宅に行ったのですが、なかなか会えずでした。
結局生きてる間には会えませんでした
死んで会っても意味がない。
なぜ合うことができなかった原因ですね。
病気と聞いたのは1か月くらい前で、この時になんとか行ってればよかったのですが
これが運命でしょうね。
どこの時点が最終的な原因かがわかりました
運命とは後からわかるもので、その前段階で変えることはできるんですよね。
厄年、これも行動で改善はできます
事故した人が言ってました。
厄年だからだと。
この人はバカです。
忠告はしたんですけどねー。
なぜ事故かの原因の始まりの時点の運命の選択肢の分かれ道の時点を教えてあげると、単なる寒いという事からでした。
寒いから車で帰った、その次の日にこの車で事故でした。
車両の特性上急ブレーキはしにくいのです。
ここでも運命の分かれ道が、
走行中に前車が急に車線変更
そこで急ブレーキを踏んでしまった、ここでスピンその後にガシャーン3台の事故でした。
車線変更の車はそのまま行ってしまったようでした。
車速も10キロくらい遅ければ、手前で想像して減速してればなりませんでした。
想像では意外と速い車だったので調子に乗っていたか、通勤で急いでいたどちらかです。
見に行きましたが、現場を見ると後悔の事故でしたね、なんでこうなるの?
でした。
後悔数が多いほどこそ人生終わりには後悔しながら死ぬつまらない人生でしょうね。
きちんとその場で解決するような行動がないから後悔になるのでしょうね。
今回のおばちゃんと会えず一生の後悔の1つになりました。
今後はおじちゃん1人になるようで、自分が先に行くつもりしてたのに、人生計画がくるってしまったとおばちゃんの前で言ってましたが、聞こえてません。
もう違う世界に旅に行ってるおばちゃんだから
しかし、残される人間はいつまでか生きる義務があるのですから。
最近の高齢化社会、こんな出来事が多数あちこちで起こるでしょう。
1人になったおじちゃんは糖尿病での合併症でいつまでかわからない。
子供もいない、親戚のみ、本当に1人で家に住み時間を過ごす、待つだけの人生。
高齢者とはこういうことになるのでしょうか?
今後の日本はこのようになるのです。
高齢者が現在の日本を作り、1人で死んで行くのです。
どうにもならない時間。
待つしかないなら、
守りに入るのなら攻めた残りの人生も良いのではとも考えます。
老人達、守りに入らずもう一度花は咲きますよ、咲かすためには力は必要です
現在を構成した実力者の老人なら精神的には若者を上回るでしょう。
死ぬつもりで、もう一度花を咲かせてみませんか?
そうすれば笑いながら旅に出れますよ。
おばちゃんは62歳でした
あと3日後に63歳だったそうです。
人間の価値とは最後に分かるものです、利益も何も関係なくなる死んだあとの葬式の悲しみの参列者の数でしょうね。
この数がこのおばちゃんが幸せを分けた人の数でしょう。
人生に後悔無し
こんなことを言いながら死にたいですね。